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ゼミは、ピアノやバイオリンのレッスンと同じってこと。

  • 執筆者の写真: Lab member
    Lab member
  • 8月13日
  • 読了時間: 5分

何を隠そう、私はピアノとバイオリンを弾くのが趣味である。

20歳すぎまで、ずっと私のそばにあった。


徐々にpublish or perish (書かないならば去れ) の波に飲み込まれ、もう20年近く、ほとんど弾いていなかった。しかし、ひょんなことから再開することとなった。



・・・弾いていなかったというのは、忙しさの言い訳のような気がする。学内にはずっとそばに音楽を置いていた先生もいるのだから、できなかったわけではないと思う。



・・・いや、弾いてはいた。


ピアノは実家を出てから、ずっと手元にはなかった。電気店に展示されている電子ピアノを弾くぐらいしか方法がなかった。


ゆえ、実家に帰るたびに、バッハインベンション (2声) の15曲をざ~っと通して、「バッハインベンション (2声) だけを死守する」という暴挙にでた。


たまに「弾いて」と言われて、弾ける曲が一つもないのは嫌だったからだ。

だから、一応、譜面をなぞるだけなら、今でも弾ける。音楽性を問われると小さくなるしかないのだけれど。


バイオリンは、博士後期課程になったころには、大学の学生オーケストラに入ったりもして少しでも弾くように心がけてはいた。当時の指導教員は「部活に行くな」と私に言い渡したのだが、時々練習にコッソリと行き、定期演奏会にも細々出続けた。


今から考えたら、あれはパワハラだったような気がする。しかしゼミ生たちは皆それを知っており、楽器をもってコッソリとゼミ部屋を出ていく私を、ニヤッとわらいながら送り出してくれたし、定期演奏会に見に来てもくれた。




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2025年、学内教員有志演奏会に誘われて、再開することとなった、ピアノとバイオリン。細々でもやっていてよかったと、思う。

譜面が難しい曲はおいておいて、譜面が簡単でも音楽性を高めたいと思う今日この頃。とはいえ、「一日1時間」を確保するのが大変である。(学部) 学生のころはいくらでも時間があったのになぁ。



バイオリンは、中学2年生のときから、音大の先生に師事した。実はたくさんの音楽家を排出している先生の門下生だ。私の演奏を聞いたら、他の門下生から「あなたが門下生なの?」と言われそうだが、そうなのだ。



バイオリン自体は小学校4年生から始めた。でも、今になって思う、最初に師事した先生は、バイオリンの教え方を知らなかったと思う。きっと、本人は (ものすごく苦労することなく) バイオリンが弾けるような方だったのだと思う。



中学2年生のとき、音大の先生のお家で初めてバイオリンを弾いた時、先生は驚愕したかもしれない。

音大に今から目指すのは無理かもしれない。そう言われた。私はショックだったのだが、本人が世界を知らなさすぎた。

よくみて(聴いて)みると同級生はびっくりするほどうまかった。県立高校の音楽科に行くような人たちばっかりだった。


でも、趣味で弾くという目的であってもレッスンに来ていいよ。と言ってくれた。


進路がどうであれ、バイオリンは弾けるようになりたい。


小さいころ、ブラウン管テレビの中で、バイオリニストがバイオリンを弾く姿にあこがれた。とはいえ、当たり前であるが、両親が「習っていいよ」とはなかなか言ってくれなかった。


ウクレレ をバイオリン、 旗の竿に毛糸をセロテープでつけたものを弓とみたて 、バイオリンを弾く真似をして遊んでいたら、ついに、両親が折れた。1/2サイズのバイオリンを手に入れたのは小学校4年生だった。



音大の先生のところに通い始めてからは、本当にイチからだった。持ち方、運弓から始め、鈴木バイオリン教本1巻からやりなおした。


先生は、怒ったりはしなかった。でも音程にとても厳しかった。バイオリンはギターと違って、音程を決めるところがない。だから、曲を弾くときは「音とり」から始める。


練習していき、曲を弾く。音程がとれていなかったら、その日はそこまで。

「音程がちゃんと取れていないから、取って、来週もう一回ね。」


試合終了である。


ピーク時には毎日3~4時間近く練習していたのだが、時として、うまく行かなかったり、練習の方向性がまずかったりして、1時間のレッスンを活かしきれなかったこともあった。


次のレッスンまでにまずかったところを、できる限り是正しないと、次に積みあがらない。



今振り返ると、もっと、音楽やバイオリンが「なんたるか」を理解する努力をするべきだったなと思う。きっとどんなことも一緒のように思う。

(これからまたやればいいのだけれど。)


そして、周りの人がうますぎて、辛かった。「あなたはあなたで良い」という風には、なかなか思えず、発表会のたびに泣いていたような気がする。いまから思えば、人と比べる必要なんてなかったけれど。





時はながれ、私は大学教員になった。

研究ゼミも受け持っている。

学年の性質により、やりかたはまちまちであるが、

時々、先週言ったことが全く直っていないことがある。悪びれる様子もない。



大きな課題は、「取り組んだかどうか、やってみてどうだったのか」を見せてほしい。


小さな課題、たとえば、誤字脱字、図表の見やすさ、そんな些細なことが、先週と同じまま登場することが、ままある。1~2時間で直せるものを、何か月たってもなおしてこないなんてのも、ザラである。


小さなことも大きなことも、少しずつ進めてくれないと、全く積みあがらない。


私の思考も、ゼミで議論して「この方向性で行こう」と、まとまったと思ったら、修正がなされていないと、次の週にはバラバラになってしまう。




いつもバイオリンやピアノのレッスンを思い出す。日々の積み重ね、そして指導に従うこと。それが遠くみえて一番近道だ。


私が時に、なまけたとき、バイオリンやピアノの先生は私をどう見ていたのだろうか・・・、そんな思いが廻る。



指導はする。意見を言うのもOKだ。もちろん、私の言うことに賛同できない場合は、別の先生に指導を仰ぐのもテだと思う。

でも、私の言うことに賛同できないというわけでもなく、「積み上げない」というのは、本当に「授業料をゴミ箱に捨てている」だけである。


そして、ゼミも単位である。

卒論発表会前に泣きつかれても、どうしようもできない。



 
 
 

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