学会で原稿を棒読みした日
- Lab member

- 9月24日
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先日 (2025年9月17-19日) 、水環境学会の第28回シンポジウムが富山県立大学で開催された。
20年以上前、学部4年生だった私は、このシンポジウムを「アルバイト」学生としてお手伝いしたことがある。昼間はまだむっとするような残暑厳しい中、駅前で案内した。
「暑いね。案内ごくろうさま。・・・えっと、大学はこっちかな?」
当時在籍していた大学は、駅から徒歩12~13分の距離にあった。夏は日傘必須だ。
住宅街を抜け正門をくぐると、ヴォーリスが設計した建物が見えてくる。
雰囲気は素敵なのだが、正門をくぐると、教室までは「ずっと坂」である。
駅前で案内しながら、内心思った。
「暑い中、申し訳ない上に最後は坂なんです、ごめんなさい。」と。
時はながれ、 2025年。のんきな学生だった私は、いっちょまえに実行委員の中に名を連ねるようになった。
シンポジウムのポスターを作成、看板を発注、会場案内の標識を作成・・・。てきぱき動く学生アルバイト生に助けられ、学会は無事終了した。

中央棟 1F、ポスターセッションの前で議論する参加者のみなさん。

「捨て看板」と呼ぶにはもったいない、りっぱな看板。作った大会のポスターも一緒に送り、イメージはこんな感じと相談したところ、素敵なデザインの看板が出来上がった。
学会関連行事に携わるたびに思い出す苦い思い出がある。
それは、
博士後期課程 (3年生) にもなって、原稿を全く棒読みして発表したことだ。
今考えても、恥である。
基本的に心配性の私は、発表を控えたゼミ生のうち、誰よりも早くPPTを作って先生に相談に行くのが常だった。
ところが、講演要旨を持って行っても「はじめに」の数行であれこれと注文がつき、先に進まない。パワーポイントも同様だ。
図も、やたらと細かい。今から考えても、こだわりポイントはそこじゃない、と思うぐらいだ。
あるゼミの後輩は、「図1 調査地点図」として琵琶湖集水域の地図を出していた。地図上の集水域の端っこに「琵琶湖」と書いたところ、
「「琵琶湖」の位置はこうしなさい!!」と言われたそうだ。
それは、琵琶湖の一番北側に「琵」、彦根のあたりに「琶」、守山のあたりに「湖」と表示せよ、というものだった。
こんな感じだ。

「琵」「琶」「湖」の位置はこうでなければならない。との指摘だった。卒業・修了して 15年経っても話題に挙がるエピソードのひとつ。(白地図はこちらよりダウンロードした。)
後輩は、先生の部屋から帰ってきて、ゼミ室のドアを開けるなり、言った。
「中澤さん、聞いてくださいよ~!。琵琶湖、の漢字の位置は「琵」、「琶」、「湖」、なんですって! それ以外はダメみたい。はははは!!」
右手でジェスチャーしながら、教えてくれた。
一事が万事、そんな感じだった。
ゆえ、結果の部分を議論したいと思っても・・・そこまで行かずに、話が終わる。
自分なりに考えていったストーリィについて相談したいのに、何回持って行っても、食い下がっても、そこに到達しない。そんな状態が続き、はたと気が付けば、発表の2日前。
「ストーリィが出来てない、こんなの、発表できないよ・・・。」
悲壮感漂う博士後期課程3年生の私が登場した。
学生部屋いつまでたっても仕上がらないゼミ生に対して、先生はイライラしたのだろう。
学会が目前に迫り、学生部屋にふらりとやってきた先生はゼミ生に対して、こう言い放った。
「人の迷惑も考えなさい!」
ゼミ生一同は、微動だにせず、各々の机の前で思った。
「あんたのせいだろう・・・。」と。
そして、悲壮感漂う博士後期課程3年生の私に
「あんたは、発表できないだろうから、原稿を作って一字一句読み上げなさい。」
と言った。・・・果たして指導教官が言うことなのだろうか。
この当時の所属ゼミ生のなかで、直前に慌ててやるタイプの学生はいなかった。仕上げるのにはそれなりに時間が必要だということを、皆認識していた。
だから、みんなそれぞれ、余裕をもって準備しているのに、この状況というのは異常だったと思う。
当時、ゼミで先生の「理不尽」に対抗するのは、決まって女子学生だった。私も例にもれず、ゼミで応戦するような学生だった。
しかし、「はじめに」から議論が進まない状況で、すでに悲壮感が漂っていた私には抵抗する元気が残っていなかった。今から考えれば、別の先生に相談するなりして自分でまとめて発表すればよかったかもしれない。
かくして、A4の紙に、一字一句文言を書いて、学会で発表する私がいた。
当時はもう、自己肯定感もゼロだったし、ずっと面白かったはずの研究に面白みを感じなくなっていたころだった。
「修士学生のころは、楽しくて仕方なかったのに、なぜだろう?」
そんな日々だった。
発表して数日後、学科の別の先生で同じ学会の参加していた先生に言われた。
「E先生が、ドクター(博士後期課程)にもなって、原稿をもって棒読みとはどういうことだ?」
と言ってたぞ、と言われたのである。
はっとした。
(自分が)どんな状況であっても、それとは関係なく自分を見ている人がいるんだということを知ったのだった。
その先生は修士課程のころから私を知ってくれている方であった。
私にしてみれば、声を大にして「私のせいじゃない!」と言い訳したいところだが、外部からみれば事情はわからない。
結局、自己肯定感はゼロのままだったが、あきらめずに博士後期課程を修了 (博士号取得) した。「原稿棒読み事件」について、E先生と直接話したことはないけれど、博士号取得後、E先生が何かの用事で来学された際に、
「頑張ってる顔、見に来ましたよ。」
と言ってくださったことが、今でも思い出される。
この「原稿棒読み事件」は強烈に私の記憶に残ることになったのだが、
博士後期課程をあきらめずにやり通して、本当によかったと思うのだ。



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