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初めて屋久島調査に行ったときのことを思い出してみた。

  • 執筆者の写真: Lab member
    Lab member
  • 2 日前
  • 読了時間: 4分

久々に屋久島に調査出張した。

しかし秋雨前線がびろ~んと屋久島上空に居座る形となり、雨が驚くほど降った。予定が総崩れになって「ダレて疲れた」状態になった。


自然には勝てないのがフィールドワークなのだ。


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 (2025年、宮之浦川)

屋久島の河川は雨がふるとあっと言う間に水位があがり、こんな状態になる。しかし雨が止むと穏やかな状態にもどるのも早い。川岸はすでに以前の降水で壊れ、工事中だった。


屋久島といえば、縄文杉、というわけにいかないのが、 "調査で訪れる"屋久島だ。


私が大学院で所属していた研究室では、先生が長年に亘り屋久島で環境調査をしていた、ということもあり、所属学生が足しげく屋久島に調査に通っていた時期が長く続いた。


博士号を取得して、所属研究室で博士研究員をしたりするようになったので、私も一式、山道具を揃えて屋久島に通うことになった。


今日は私が初めて屋久島に行ったときの話を少しだけしてみようと思う。



私が屋久島に最初に訪れたのは、まさに大学院博士後期課程を終えようとする2010年の年度末だった。屋久島調査に出かけた研究室の学生らがコンテナ一つ分の荷物を持って行き忘れたことがきっかけである。


今になっても思うのだが、

「彼らは一体、何しに屋久島にいったんだろう?・・・。」

である。


当時、所属していた研究室は滋賀 (彦根市) の大学だった。


滋賀から荷物を送ると、どんなに早くても2日はかかる。

鹿児島から屋久島への荷物の運送は、 "屋久島II"(朝:鹿児島港を出発、昼:屋久島宮之浦港着) というフェリーによる輸送だから、どんなに運送屋さんが頑張ってもダメだ。


先生と屋久島に向かった学生が電話でやり取りすること、しばし。

結局、滋賀から宅急便で送っていたら調査のスケジュールに間に合わないとの結論に達した。


博士号取得が確実となり、4年かかった博士後期課程も修了だと、のほほんと大学の研究室のデスクの前に居た私に声がかかった。


「中澤、屋久島行ったことなかろう?荷物はこびせんか?」

「行きたい (です)!」



二つ返事で承諾、すぐさま家に帰って荷物を作り、最寄り駅の南彦根駅まで送ってもらい、伊丹空港へ。鹿児島空港ホテルで一泊して、次の日の早朝、屋久島空港に到着。かねてから乗ってみたいと思っていたプロペラ機 (Q400とSAAB) をひとしきり楽しんだ。



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屋久島空港、SAAB機 (2014年撮影)


屋久島空港に到着する共同研究者を迎えに行ったり飛行機が遅れたりしたら、空港にある喫茶店の窓側に座り、飛行機が降りてくるのを待つ。

悪天候の時は、飛行機が降りてくるかどうかで、帰れるかどうかが決まる。離島空港。


しかし降り立ったら待っているはずの研究室の後輩学生らがいない。ケータイ電話から迎えにくるはずの後輩に


「飛行機着いたよ」


と短いメールを送り、あっという間に人がいなくなって静かになった空港ターミナルの入口でしばらく待つ。



すると空港に入る坂道を車がスーッと入ってきて、車から降りてきたのは後輩たち。


会うなり、一人が

「いや~、中澤さんお待たせしました。実は道が混んでて(笑)」


と言う。何も知らない私が、


「へぇー。屋久島、道が混むところがあるんやね。でも、迎えにきてくれてありがとう。」

と答えたところで、


一緒に迎えに来てくれたもう一人の後輩がすかさずツッコミを入れてくれた。


「お前が寝坊しただけやろ!」


そして連れていかれるがまま西部林道沿いからヒズクシ峰に挑戦。

最初の10分ほどが驚くほど急峻なのだが、そこを直登する。


昔、炭焼きが盛んだった西部地区、おそらくは燃料を入れるために使っていたのだろう、埋まりかけている空の一升瓶がみえると、その急峻区間もあとすこしである。


「あ~しんど。」


ほんの少し息を整えて、森の中を進む。


在学中、「ヒズクシ」と書かれた試料を分析することがあったのだが、こんな急峻なところに登って採取したものなのか、と知ることになった。


そして首輪でもつけて家に連れて帰りたくなるほど小さいヤクシカに胸キュンになった。


そのときはヤクシカに胸キュンしたのだが、最近では

「う~ん、ヤクシカがいるから、ヒルいるんだろな。」と思うだけになってしまった。


フィールド研究する研究者は、よく「ヒルよりダニが嫌」と言う。

ダニも嫌だが、ヒルもたいがい「嫌」である。


完全防備しすぎて暑い。でもヒルにやられたくない・・・。


そんな気持ちがせめぎあう。

山に入り続けると、だんだん小さな枝とか、腐った葉っぱとか、細長いものはすべて、ヒルに見えてくる始末だ。




ヒズクシから降りてきて西部林道を出たところで、”軽自動車に乗った (なんだか屋久島の達人のような) おじさん” に会ったのだが、それが手塚賢至さんであると私が知るのは数年後のことだった。



(屋久島学 10 より 再編して掲載 )




屋久島学ソサエティ

屋久島では 毎年12月に屋久島を知るための学会「屋久島学ソサエティ」が開かれている。

2023年12月の開催場所は、空港近く、新しくなった町役場の会議室。木の香りに癒される。


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ソサエティでは毎年、「屋久島学」を発行しており、多岐にわたる屋久島研究の成果が紹介されている。




 
 
 

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富山県立大学工学部 環境・社会基盤工学科 中澤研究室

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