2024年某日、ソウル、大通りに面するホテルの入り口を出たところに、何者かに引き倒されたと思われるポールがそのままになっていました。 いつ直すん?
私は2002年度の1年間、ソウルにある大学に交換留学生として留学し、1年間ソウルで過ごした経験があります。多感な年ごろ、さまざまなバックボーンを持つ人に出会えたことは本当に幸運でした。
留学から帰ってきたとたん、日本では「冬のソナタ (겨울연가)」がブームとなるも、当時は日本国内で今ほどK-popが人気でもなかったし、韓国語の教科書も書店のタナに数冊ほど肩身が狭そうに並んでいるだけでした。
今は学生と韓国大手の芸能プロダクション、SMエンターテイメントの話をしても、話題が通じるほどで、隔世の感です。
「韓国に留学する? なんで?」
周囲の反応は冷ややかでした。
韓国語を第2外国語として履修し、紹介してもらった「8月のクリスマス」というハンソッキュ氏が主人公の映画に憧れ、留学を決めた国。
大学の交換留学生の募集に「行く人がいない」という情報を聞きつけ、そのまま大学の国際交流センターに走っていった日を思い出します。本来なら韓国語検定もTOEFLスコアも必要なはずが、「(大学同士の協定に基づく交換留学なので)行ってくれるならぜひ行って」とあっさり留学が決定しました。
学術振興会の海外特別研究員の書類を書いたわけでも、科研費の国際共同研究強化の申請書を書いて採択されたわけでもなく、書類を1、2枚書いただけで決定。
まさに「大穴」。。。
当時、韓国の歴史を学びに来ていた研究員の方に「僕らは何枚も書類を書いてようやく来れたのに、いいねぇ」と言われたことを思い出します。今から考えるに多分彼らは海外特別研究員に採択されていたのでしょう。
2002年2月の下旬、大きな荷物を持って降り立った仁川国際空港、入管のおじさん (お兄さん?) が、みんな 映画「8月のクリスマス」に出てくるハンソッキュ氏 と同じように襟足を刈り上げた髪型に感動した日。そのことを韓国の友人に報告したら、呆れられました。
時は流れ、2024年、金浦空港入管にて韓国語で
「かなり前に学生として留学していたことがおありなんですね。」
「はい、とても昔・・・20年ほど前に。」
留学後も時折韓国に遊びに行くことはあったものの、尋ねられたのは初めてでした。
刈り上げた入管のおじさんはどこにもいませんでしたが、自分が留学していた”痕跡”を見つけました。
留学先だった、韓国・梨花女子大学。大学の寄宿舎(寮) は敷地のかなり奥にあります。久々に寮まで行ってみたら、きっと弱虫ペダルに引けを取らない「激坂」が続いていました。
留学中は、激坂を回避するために、途中にある図書館に用事もないのに入り、そこの図書館のエレベータで一気に最上階まで上がり、道が寮に続いている、図書館裏の出口から通り抜けるのが日課でした。
女子大なのにあろうことか、そのエレベータの前の壁は落書きだらけでした。そこに貼られた四文字の韓国語の紙、何が書いてあるのか・・・。ある日韓国語が上達して、読めるようになった!「落書き禁止」。今はどうかな?
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