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昭和基地にたどり着いた日





「いつか行ってみたいな」から、約15年、2021年12月21日、私は南極・昭和基地に降り立ちました。



観測隊、艦内当直所感 (筆者による記載) より


今日(2021年12月21日)は、それまでしらせ内で足止めされていた約30名の隊員が初めて昭和基地入りした日だった。私もその一人。当初は、しらせから昭和基地まで「ヘリ通勤」の予定だったが、天候不良のためキャンセルになり、「雪上車通勤」となった。どちらにせよ物珍しく、日本にいる友人に「雪上車通勤してん」と報告したい気分になった。


 雪上車で昭和基地に向かいながら、博士号をとって約10年間のポスドク時代は、いつも年が明けると次の年度の雇用を気にしていた。大学の事務職員を兼業しながら研究をしていたこともあったけれど、めげず(めげてたときも確かにあった)にやってきてよかったなあ・・・と、サングラスの下で人知れずちょっとウルっとした。


1か月以上、「しらせ」でぐうたら気味の生活をしていたので、「ああ、つかれた」という感想を持った隊員は私だけではないはず。それでも、各々が計画していることを少しでも進めることができることを確認した充実の一日だったのではないか。



(以下、省略)




 

雪上車出勤のようす

この日、しらせから昭和基地まで、雪上車で出勤した。写真は17:30ごろ、雪上車でしらせまで送り届けてもらったときのスナップ。この時期は白夜で、夕方というのにこの明るさである。

雪上車の運転手は、南極料理人だったり大工さんだったり (隊員メンバー) 。泣きそうになりながらMT普通乗用車免許をとり、その後長いことペーパードライバーだった筆者の口からでたのは「すごい」の一言だった。

 


この二日後、63次観測隊員 (夏隊・越冬隊) のほとんどはベース(寝泊まりする場所)を昭和基地に移しました。昭和基地では約1年の越冬を終えた62次観測隊 (越冬隊) が迎えてくれました。


私達が降り立った昭和基地は雪の中に土や露岩が見える場所。木は生えておらず、地面も舗装されておらず、そして、さまざまな重機が見え、さながら工事現場のよう。もしくは、数年前、調査に出かけたモンゴルで見た、大規模鉱山を掘り返したような場所にも見えました。


隊員が昭和基地に入ってから1月末までの期間は、昭和基地の短い夏の期間であり、越冬に備えた物資の輸送、時には新たな棟の建設、または古い棟の解体などさまざまな工事も行われます。


南極地域観測隊と聞くと、文字どおり「観測をする人たち」というイメージが浮かぶと思いますが、実際は、電気、機械、建築、通信、医療、調理、車両・・・とさまざまな日常生活を維持する隊員(設営部門)の尽力があってこそ、観測隊は成り立っています。


職業柄、筆者は研究関連の職業についている人たちに出会う機会は多いものの、旧友も含めて、設営部門で働く人たちに出会う機会があまりありませんでした。隊員それぞれがさまざまな分野でのプロフェッショナルであり、彼らと生活を共にし、協力して研究を進めていくことも南極観測隊の魅力です。



 



昭和基地での1枚。昭和基地入りしてしばらく、63次隊はあまり天気に恵まれず、曇りがちの日が多かった。南極といえば一面、真っ白な世界が想像されがちだが、夏の昭和基地は路面が見える。雪解けし、足元は泥だらけ。基地内にはいわゆるインスタ映えスポットもある。極道13号と、ペンギン注意の看板とともに写る筆者。


 

(大学SNS寄稿文より加筆修正)

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