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AIに頼んで作った謝罪文は、相手からどう見えるのか。

執筆者の写真: Lab member
Lab member
9月22日
読了時間: 4分


「あ、AIに聞いてみますよ。」

「うん、まあいいけど・・・。」


「学会発表の日本語タイトルは「○○○○」だけど、英語タイトルを考えて?」

カタカタ・・・。


「この英語タイトルどうですか?3つ、案がでてきましたよ。」


「う~ん・・・悪くないけどさ。

まあ、この3つなら、私なら「3番」かな。」


タイトルを見てしばし関心する。ありそうなタイトルを並んでいた。


便利な世の中になったものである。


これは、学会発表のタイトルに英語表記が必要、でも時間がない・・・。

「じゃあAIに聞いてみます。」となったときの話である。



中央棟の窓ガラスに映る空。秋らしくなってきて、もうすぐ後期がはじまる。




「・・・アホになるよ。考えてないやん。」

「マジでそう思います。何にも考えてない(笑)。でも、ま、ま、今回だけ!」


分かってるけどやめられない。

本当に何も考えてない。


自分自身の実力を磨くべき時に、それから逃げて、AIで当たり障りない答えをもらってレポート書いたり、ゼミ資料作ったり・・・。


研究打ち合わせを重ねるうちに、気が付く学生もいる、というのが救いではあるのだが、


こんなことしてたら、自分がなくなちゃうよ、と思う。



そんな話はこちらにも書いた➡ 「妙に整った文章とChatGPT」


駆け出しで自分に「なんにもない」(と思う)からこそ、遠回りに見えても自分で一つずつ積み上げていくべきではないのだろうか。


よく考えてみてほしい、といつも言ってしまうし、思う。



先日、そんなことを考えながら実験レポートを見ていた。


「う~ん・・・」


提出されたかなりの数のレポートについて


・いい加減

・AIが疑われる

・なにかのコピペ(=引用元を書いていない、を含む)


こんな疑義が生じたので、

「いったいどういうことなんだ!?」と疑問が湧き、

面談してみた。


すると、AI疑惑がかかっていないレポートの提出者がいきなり、

「AI使いました」

「え? 私、まだ何も言ってないよ?」と


カミングアウトするケースがある一方で、



レポートを突き合わせて、ここの文章は意味がわからないよ、などとやっていたら、最後に、こんなコメントをする学生もいた。


「「僕はAIを使ってない!!」とどうやって主張しようかと意気込んでやってきたけど、先生のご指摘はごもっともです・・・。なにも言い返せない。」


「(笑)!? そうよ、このレポートに関してはAI疑惑はかかってなかったよ?文章とかおかしいところがいっぱいあったから呼んだのよ。」



実験レポートに関しては、

時間をかけているレポートがあるのに対して、そうでない場合は、


・時間切れして「AI使わず、単にいい加減」パターン

・時間切れして「テキトウなAIを使う」パターン

・どこかのHPをコピペして、もっともらしい文章に見えるが、引用を書いていないため、「剽窃」状態になっているパターン


などが、あるある、のようだった。





最近は謝罪文をAIで作成してメールしてくる学生もいる。


「いる」と断定するわけは、

問い詰めたら「AIに書かせた」と白状して、本人が絶句するからである。


面白おかしく書いてはいるけど、実際のところ



怒り心頭 である。


認めたらいいと言うものではない。




「へ~・・・。「ハイ」と認めて、あなたは実際、どうかんがえてんの?」である。


こういうパターンは

たぶん、その場がしのげたらいいだけ、相手のことなんてお構いなしだ。




学生がAIで書かせた謝罪文はすぐに判る。

パッと見、ある程度の文章量もあって、ソツなく書いてある。

でも本人の行動と文章が明らかにちぐはぐである。


「あなた、これ自分で書いたの?」

「文章と行動がかみ合ってないよ?」


「そして、学生がこんな文章を書くとは思えない。あなたの普段の文章からは想像できない、と「私」は思う。」


「たとえば、「今後は先生と相談させていただきながら」と書いてあるけれど、

今のあなたの対応は、「相談」してないよね?」


「自分で書いたこと覚えてる?反省しているようにも見えないけど?」


「・・・。」


「AIに謝罪文書かせて、それを送り付けて、先生が「ああ、いいよ、いいよ!」って許してくれると思ってたの?」


「・・・。」


私たちは人であってAIではない。

血の通った人間であり、社会生活を営む生き物だ。


その場で取り繕っての「あたりさわりのない」謝罪文、それに一体何の意味がある?

相手の気持ちを踏みにじって火に油を注いでいるだけではないのだろうか・・・。



では、

プライベートで大切な友達や恋人に対して、

大切な仕事のパートナーに対して、


失敗して謝罪するとき、やっぱりそれでもAIで文章書かせるのかしら?


彼らの一連の行動は

「しない、でも先生に対しては、する。」

なのだろうか・・・?



プライベートで、もしくは仕事を一緒にしている人から、AIで書かせた謝罪文が届いたら、あなたはどう思うの?


こんなことをしていたら、謝罪して関係を取り戻す、という以前に信頼関係崩壊だろう、と私はおもうのだけども。


ちがうのかなぁ~・・・。










 
 
 

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