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北極観測船「みらい 」と南極観測隊のなかま

  • 執筆者の写真: Lab member
    Lab member
  • 8月7日
  • 読了時間: 5分

2024年、8月下旬、超巨大台風が列島に迫りつつあった。

私たちは八戸港にいた。


大気水銀モニターを設置(艤装:ぎそう:荷物の積み込み)することになっていたからだ。


航海中のお世話は、共同研究者と大学院生に依頼することにしていたので、「艤装」のために赴いた。


台風が迫り、船はそれを避けるため (沖にでてやりすごしたりするようだ) 、出発準備が流動的になっていた。


港の入港許可を取り、「みらい」のそばに行く。車を降りて下から「みらい」を見上げる。




陸から、「みらい」を見上げる。

まんなかのサッカーボール状のものは、「ドップラーレーダー」。

みらいII に引き継がれるようだ。→中身はこんなのなんだそうだ。


船をみてたら、甲板で手を振っている人物がいる。

私と同じタイミングで南極観測隊に参加していた隊員だ。


「ようこそ、みらいへ!」

迎えてくれた。


その方と南極観測隊で一緒だったときは、しらせ内で海洋観測したり、南極の露岩域にに行って、設置してある機器のメンテナンスなどをこなしていた。「とっつき岬」などの一部の露岩域では一緒に調査することもあった。


研究者でもなさそうだし、企業の人・・・?

よくよく聞いてみたら、ふだんは北極観測船「みらい」に乗ってると言う。



「もし装置を設置するなら、「みらい」でお待ちしております!」



コロナ禍の南極観測隊、南極帰りのしらせは私たちを横須賀の自衛隊の基地まで運び、その後、私たちはそれぞれ帰路についた。


「また、いつか。」



南極にて、とっつき岬に着陸した際の様子。一面氷の世界だった。

滞在時間は数時間。それでも、「万が一」に備えて、テント、食料、トイレ・・・いっさいがっさい持って行くので荷物は大量だ。

名目上・・・「手伝って」ということで、調査に同行させてもらった。わたしはすかさず氷のサンプルを採取した。

そしてちゃっかり昭和基地で観測した大気中水銀について議論した論文にデータを載せた! (下 Tottsuki misaki とある行だ。)。

そして、次の行、いまごろ誤植に気が付いた! Langovde ではなく、Langhovde だった・・・。





彼は、みらいの乗組員として、世界を旅してきたみたいだった。

南極観測隊以降も、ごくごくたまに Lineしたら、


「今は陸にいて、しばらく休み(休暇)。」と返ってきたりした。


ふだん、どんな仕事してるんだろう?・・・興味深々だった。


以前より、「いちど、学生に話に来てくれない?」とオファーしていた。



「もうすぐ、みらいが退役する。それを見届けたい。だから、今は船から降りられない。

だから今回は難しいけど次回、ぜひ誘って!」


そんな話をしていた。


みらいは、2025年12月に退役した。今回、声を掛けてみたら、快諾、ついに実現した。



授業はお昼 13:10から。


12時過ぎに、大学にやってきた。


「来たよ~?」


私は自分のお弁当を電子レンジで温めているところだった。

「え。早。私いまからお昼たべるけど、ごめん。いい?」


「てか、長袖にネクタイ、暑くない!?」


矢継ぎ早に聞いてしまった。


「うん、大丈夫、いつもこの格好で会社に行ってる。」

「え~、暑いでしょ・・・。観測隊風の格好でもよかったのに。」


お昼は各自で、自力で行くから心配無用、とのことだったので、

「適当な時間になったら来るんだろう。」


ぐらいのつもりで、いつも通りのうごきをしていた私・・・。ごめん、全然来客扱いしてなかった。


しばし話をするも、ソワソワ。


「そろそろ行こう?」

「え!? まだ 12:45分だよ、ちょっと早いよ。」

「う~ん・・・。落ち着かない。」


そんなことを言いながら教室へ。

私はいつも通りのつもりだったが、友人が

「先生っぽいね。」と。

「え。そぉ?」



そうなのである。観測隊隊員同士は、「観測隊隊員」として顔を合わせる。結果として普段のそれぞれのお仕事の様子よりも、隊員仲間の一人、というかかわり方をする。


私は、「みらい」の中での彼の仕事部屋をちらりと見せてもらったりもしたので、

「へ~、こんなところで仕事してるんだ。」

とみる場面もあったのだが、彼にしたら私が大学で働いているのをみるのは初めて、だった。


授業では、彼が大学生だったころの話から始まった。大学院で苦労した様子も。


そして、今の会社に入って、「みらい」に乗って世界の海で観測したり、南極観測隊隊員として、南極に赴いたときのことへと続いた。


学生からの感想文には、


大学院在学時や社会に出るときに紆余曲折した話

南極での話(分量としては、北極観測船「みらい」の話が多かったように思ったけれど)


このあたりに言及したものが多かった。



ほとんどの級友が、中学→高校→大学→就職、 に進んでいくように見えるだろう。

でも、そんな人ばかりではない。


私の所属している学科では、土木系の会社に就職する学生(先輩)が多く、雰囲気としては、土木系の会社に就職・・・がデフォルトになっているように感じる。


特に、環境系(環境工学講座系というか)は、「目に見えて」環境のことをやっているという、「わかりやすい企業」というのはあまりない。


でも、世の中にはいろいろな企業や生き方があって、(大学4年間でやったことに縛られずに)どんな方向にでも、可能性を切り開いていってほしいと、いつも思う。


もちろん、大学で学んだことが大好きならその方向にすすむのもテだ。

そうでなかったとしても、いろんな方向を模索していってほしい。




私はいつのころからか、多くの人が歩む道(本流)から(たぶん)外れたように思う。辛いなあと思うこともあったけれど、


ひょんなことから、南極観測隊に参加するに至った。


今回講師に来てくれた彼はもちろん、観測隊の期間は終わっても、いろんなことを話せる大切ななかまが増えた。



そして、よくよく周りをみてみると、いわゆる本流から外れた(と思われる)人は、当時は見えなかったけれど、いるものなのだなと思うことが増えた。




先日、ほぼ同い年の方、関西出身で高校卒業と同時に渡米し、今はアメリカと日本で事業を展開しているかたと話をする機会があった。


わたしがどうしても気になってしまったのは、

なぜ渡米する決断をしたのか?、そして、どうやって今に至ったのか?だった。



選ばなかった人生は、もう誰にもわからないわけだけど、いろいろな方の話を聞くとワクワクするし、同じ時代を全く別の場所で生きてきたんだなあと、ふと思うのであった。






 
 
 

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富山県立大学工学部 環境・社会基盤工学科 中澤研究室

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